約束を守るということ

 

お金を払わなければ手に入らない情報というのが存在すると思います。

 

私は、その情報は秘匿する義務があると思います、

特にそれが明記されている場合は

 

私の友人は、それを言っただけでたたかれたことがあるそうです。

あまつさえ、仕事のこともバカにされたらしいです。

彼女が働いているところは国からの補助金が必要なため、

彼女の仕事1つで事業所が閉鎖になる可能性もあるくらいのところなのに。

 

 

お金を払った情報を漏らすということは

お金を払っているのに、それを0円で他人に漏らすということなんですね。

いわゆる無償の提供です。

 

それって税法的にみるとアウトだったり、

利益の提供にあたったり

立場を置き換えてみると、

例えばxxが倒産するから早く売ると誰かに漏らすとインサイダー取引になってしまったり。そういうことなんですよね。

 

 

お金を払っているなら何でもしていい 

そんな感じの理論なんでしょうか

 

謎ですね。

ならお金を払わないで情報を入手すればいいだけの話ですよね

って私は思います。

 

成立しないから

情報や、権利、法律はあるのにって思います。

 

ヘルプマークは小さな叫び

私は、見かけは普通の女性です。

 

でも、実は内部障害をいくつか抱えています。

ヘルプマーク、ご存知でしょうか。

私も持っています。

 

私は耳がある音域が極端に両耳聞こえていません

うつ病を遺伝性で持っているため、具合が悪いと、席に座っていることもきついです。

小麦の得意アナフィラキシーなため、発作を起こせば呼吸が苦しくなって死んでしまうかもしれません。薬を打たないと確実です。

鍛えていても呼吸器が弱く、ぜんそく患者並みの肺活量しかないです。

 

それでも、世間の人にはそれは伝わりません。

私が普通に歩いて普通に音楽を楽しんで、普通にご飯を食べているからです。

哀しいことだし、嬉しいことですけれど

 

私にとってヘルプマークは命をつなぐものです。

そして、災害時に判断を誤らないためのものです。

 

 

ヘルプマークというと仰々しく聞こえるかもしれません

けれど、普段は確かに、普通に生活を送っています、私の普通の生活を。

その中でも、本当は少しだけ不自由しているんです

みんな元気じゃないのが普通だと思う人もいると思いますが

 

いわゆる内部障害の場合は、そういうことではありません。

いきなり具合が悪くなる人もいれば、

命に関わる人、いざという時に身を護るために。

そういういろんな形があります

 

具合が悪くて優先席に座っていても

「若いんだからどけ」そんなことをいう方もおられることも事実ですし

普通の席に座っていても同じです

それは、怪我をして目に見えても同じでしたけれど。

 

 

でも、いつも助けてほしいわけではないんです、私たちは

少し具合が悪くなったり、倒れたりしたときに、

少しだけ助けてほしい、お願いだから命をつないでほしい

そんな願いを込めてつけている人も中にはいます。

 

色んな人がいるんです。本当に色んな人がいるように。

日本語って難しい、思いやりも難しい。

私は、普通の時は普通に過ごしています。ヘルプマークは外してもいます。

普通に席も譲ります。

 

いつも助けてほしい、そんなことは思っていません。

ただただ、ちょっとでいいから、困ってそうな時は助けてほしい。

そんな小さな叫びなんです。

 

 

 

 

今更 P.I.W横浜

今年の五月に初めてフィギュアスケート

正確にはアイスショーの観戦に行きました。

 

大好きな選手がいるんですね、私。

引退なさりましたが、町田樹さん。大好きなんです。

 

元からフィギュアスケートが好きで。

スポーツを観戦することのない私が、唯一観戦するスポーツです。

 

彼のことはもとはあんまり好きではなくて

でも、私、療養していた時期がありまして。

 

たまたま心もボロボロになっていた時に

TVを見てたんです、たまたま。

 

その時に、始まったのが

町田樹氏の、第九です。あの伝説のプログラムです。

アメリカ大会だったと思うのですが、完ぺきな演技だった記憶があります。

そして、完璧なのにとても熱い。魂のこもった演技だったのを記憶しています。

全ての時間を演技に使う、その姿勢に感銘を受け、それから彼の出る試合はずっと見ていました。

 

彼が引退して、私、時間が止まってしまったのです。

抜け殻みたいになって、その後、日本は羽生君の勢いが止まらず。

今は宇野選手が伸びていますが、あまり記憶がないのです。

その位、観なくなりました。

 

でも、たまたま、彼の進学した早稲田大学に行く機会があり、

「あー、町田君今何してるのかな」って調べて公式HPを発見したら

 

P.I.Wに出ることを知りました。

私は何せ1人が好きで、一人でどこまでも行っちゃうくせがあります。

その日のうちに、行くことを決め、仕事のシフトが出るのを待ちました。

 

仕事が会計系なので決算と丸被りして、疲弊していました

メンタルもプライベートでズタボロな中、向かいました。

うっかり午前の会を買ってしまうというミスを起こし、新幹線に乗りました笑

 

色々と調べて、準備して向かってパンフレットも買いました。

一人で、のんびりと開演を待ちました、西A席でしたが近くてびっくりしました。

 

そこにあったのは、ただただ美しい空間でした。

私は、町田樹氏を観に行ったのですが、やはり第一線で活躍なさる方たちの演技力は素晴らしいものがありました。表現力というのが直に伝わるというか。

物語に入り込んでるというか。

氷の音や、氷の欠片、証明、全てが美しかったです。

 

お目当ての町田樹氏は

最後の登場となりました。公的には学問優先ですからね。

でも、今が最高なんじゃないかって思うくらいにすばらしかったです。

現役のころはどこか張りつめていた(当たり前ですけれど)気がして

それが、まったく感じられなかったのです。

 

私は何も知らなくてただただ「楽しそうだなぁ」と思っていたのですが

あとで知ったことですが「バジルとは生きる喜びがテーマ」で、

本当に楽しそうだったのが印象的でした。

彼の演技の直後、第九が流れたのも、素晴らしかったです。

 

目の前を目にも止まらぬ速度で滑っていく彼、

本当に素敵でした。

終わってから、しばらくぽけーとしてしまいました。

 

今は、生活があわただしいのでわからないですが

また、もう一度、拝見したいなと。

私の中の町田樹氏への敬愛の念は、燃えているのでした。

 

 

鬼滅の刃

突然ですが、私は大のジャンプ好きです。

えぇ、女性28歳なのにジャンプ買ってます。毎週。

 

ジャンプ一筋10数年の人生を歩んでいます。

私の家は厳しくて、その隙間を縫うように漫画を読んでいたのがジャンプでした。

ずっとずっと大好きです。

 

大好きな作品、封神演義なんですけれども。

私、ここ数年のジャンプに少し「ん~、どうしたのかな?」って思う事がありました。

これから大丈夫かと。

 

私、でも、その中でもある日、とっても素敵な先生を見つけてしまったんです。

 

その先生はとっても優しい言葉の使い手でした。

世界観が優しすぎて、読み切りなのに、心をわしづかみにされました。

 

それが今、話題沸騰中の吾峠呼世晴せんせいでした。

 

その連載、肋骨さんのとき、先生の絵は上手いといえるものではなかったです

 

けれども何よりも何よりも

その空気、言葉、世界、全てに優しさや悲しさ、切なさ、希望、慈悲、

色んな良くも悪くもジャンプらしくない面が入っていました。

 

その時の言葉で忘れられない言葉があって

自分くらいは自分を大事にしてやりなさい。

そんな言葉だったんだと思います。

自分を大事にできない主人公(命も惜しくないとばかりに戦ってきた)

 

ヒロインが救われた後に、彼の境遇など知らずかけるこの言葉。

どっちが救ったのかわからなくもなります笑

 

でも、それで、主人公救われたというか終わりが爽やかな梅雨の晴れ間のような。

そんなことを思たのを覚えています。

 

今でも肋骨さん 心に残っています。

 

そして、今、呼峠先生、大活躍なさってて。

とても嬉しい限りです。

今でも、やはり先生の言葉は優しくて、慈悲深くて

ジャンプらしくなくて。笑

でも、そんな先生の作品がやっぱり大好きな私です。

 

どうか 2人の未来に希望が差し込みますように

私は炭治郎のパパの「約束だよ」あの一言気になる。

火の呼吸はもしかしたら、一子相伝とか、

鬼に対抗できる血を持つとかそういうものなのかもね。

 

そして、煉獄の兄貴。大好きでした。

先生のこれからのご多幸と、ご活躍を祈願しています。

 

がんばれ

 

私は仕事が終わると、あるところに行くことにしています。

 

何処かは秘密ですけれど。

頑張れました、ありがとうございます。

また頑張りますので、見守ってくださいますようお願いいたしますと。

 

神様に祈ってるのではなく

自分への戒めとして、誓いとして言っているような気がします。

 

頑張るのは案外 難しいものですが

誰かに嘘をつきたくない時。頑張るのは簡単なんです。

 

どういう仕事をしたいか。

私は誠意ある仕事をしたいと考えています。

それが、見守っていてくださいねって誓いに 近いのだと思います

 

縋るのではなく、誓うように、きちんと向き合えるようにと思います。

 

冗談じゃない

リーガルハイ 第9話 冗談じゃない

私にとってこのセリフは支えです。

 

私は小麦アナフィラキシーの寸前と診断されています。

特異型であるがゆえに、それは理解されにくいです。

血液検査で出ない、発作を起こすまでアレルギー反応は起こさない。

そして、微々たる量であるならば、全く問題にならない。

小麦をメインにしたものは食べられなくなりました。問題はないですけれど。

洋食も、和食も鍋の締めのあとに出た小麦のエキスも怖くて汁は口にできない。

ご飯を食べれば1時間はお風呂や激しい運動は厳禁。

もし、発作を起こしたら、命をつなぐ薬を打たなければ、命を落とす。

それが小麦特異型 アナフィラキシーです。

 

全てのアナフィラキシーで言えることですが、

「起こしたら、いつ命を落としてもおかしくない」ということです。

 

ある日、らいぶの帰りに電話で待ち合わせをしていたら

「今、ラーメン屋の前通過した」と何気なく言ったら

「ラーメンでもいいですね~、メキシコ料理屋の前にいますよ」といわれた。

 

私にとって、今、最も安全に食べられるのは和食とフォーなどの米粉のみである。

彼女はそれを知っている。それを言われたのは予想外だった。

 

その日、私は「健忘性乖離」を別の人に嘲笑われた。

健忘性乖離は、簡単に起こすものじゃない。

「いいねw」

人格崩壊を防ぐほどの悲しみ触れたとき、人は記憶を一時的に消す。

それはいつか、あく。でも、それは大丈夫になったとき、意識もせずにいきなり。

本人が操作できない、全くと言っていいほど。

 

 

健忘性乖離を起こし、命に関わることを冗談でもいわれ

精神的にぼろぼろで 

たぶん生まれて初めてしゃがみこんで泣き崩れた。

 

人は二回死ぬというけれど、

私はそうとは思わない。

 

人は何度でも死ぬの。それをぎりぎりで防いでいるだけ。

精神的に、肉体的に、そして記憶から消え去り。

 

長澤知之 kumonoito 東京公演

 

久しく、天才だなと思うアーティストに会えませんでした。

14年前の私は14歳で山崎まさよしにはまりました。

そのあと、いろんなアーティストを経由していますが、

全員が、生き残っています。

そういうこともありますし、

元から高音が人並み外れた聴力のため

自分の持っている耳に絶対的な自信を持っています。

 

今から4年前、私はあるアーティストに出会います

長澤知之

 

山崎まさよしと同じオーガスタでありながら、

彼は秦君の陰に隠れてしまい、その特殊な世界や声もあったでしょう。

秦君と比べた時に、彼はどうしても後ろに位置してしまいます。

 

ある日、REDという曲を聴いたのです。

その曲は、表すのならば混沌という言葉がよく似合うような曲でした。

彼の声はアシッドボイスといわれています。

 

最初に聞いた時、とても苦手な声だったんです。でも、もう一度聞きたくなる。

それを繰り返していたら、いつか彼に魅了されている私がいました。

 

インタビューや詩の世界から伝わってくる彼の世界は

非常に混とんとしているようで鋭いガラスのようで、

優しさにあふれていてそれでいて、まっすぐな世界。

 

紡ぐ文字、安定しない、それでいて優しく強い声、私は完全にその魅了されました。

 

去年、GIFTというアルバムのイベントで

彼の生歌を聞いた時に、本当に胸を持っていかれました。

そのふり幅は素晴らしいものでした。

 

そして、Kumo no Itoツアーも参加してきました 東京

 

長澤知之の最大の魅力は何かといわれたら

魔力じみた深淵の見えないところと 慈愛に満ちた歌声の両立なのです。

 

マンドレイクをもじった可能性のあるマンドラゴという曲

ギターが見事に、まるで空間をゆがめるような音を奏でていました。

ギターが壊れても、マイクから離れて生でかきむしるようにはじくギター

声にすべてを込めたいようなように、ギターから手をはなして

ハンドマイクで歌うこともありました。

彼自身が飛びながら歌う弾く局面もありました。

 

そんなむき出しなアーティスト見たことないし聞いたこともない。

それが長澤知之なんです。

 

長澤知之ピカソや、晩年のモネを思い起こさせます。

ピカソはずっと書き方をかえていくタイプでした

 

若いころのモネの要素=美しさも彼にはあるのですが

晩年のモネ、眼が見えなくなり執念で絵をかいていました

その執念。その両方も感じるんです。私は。

 

ほんとうに素晴らしい時間だった