HYDE evergreen

私は音楽が大好きで、大好きで音楽が無いと生活に支障を来したりする。

特に、移動中とか作業中は音楽が無いと困る。

まぁ、働いてる時は大丈夫なんだけれど、基本欲しい。

 

数年に一度、楽曲に恋をすることがある。

恋と書いたけれど、ほんとうに恋で、眠れなくなり、食べられなくなる。

胸が苦しくなる。

その位の雷に打たれてしまうことがある。

 

最近、ファンクからロックに戻ってきた。

戻ってきたというよりは、思考が変わった。嗜好でもある。

もともとABCのyasuが大好きで、大好きで。

彼が首を怪我を負ったことがきっかけだった

 

並行してある方を好きだったんだけど

私の生活が変わって、その人の音楽が響かなくなった

あの感覚はすさまじくつらいものだった

 

その間に台頭してきたのが

ラルクアンシエルhydeと、清春だった。

 

数年ぶりの雷は、HYDEが落とした。

彼のソロ初シングル evergreen 

まさに私の中の永遠となり恋をした

 

私は英語を教えている顔もあって

そして日本語フェチでもある。

 

彼は両方で歌詞を書くし、歌う、

だから、こそ、さらに雷が落ちた

 

 

evergreen

evergreen

 

 

 

evergreen 

そのジャケットは枯れた薔薇の華が飾ってある絵だった

 

 

初めてバンドを組んだメンバーががんに侵されたこと

をきっかけに書かれた楽曲だった。

 

全ての音の編成が完璧で、あまりにも美しいなと思った

その歌詞を見て、最初、何も知らなくとも

「永遠の別れの曲」であることは明白だった。

あまりに美しく儚く込められた願いが強く弱く可憐で涙が出た

 

バックヤードをしったあと、その可憐さや儚さはどんどんと強くなっていく。

このブログを書いている手さえも、私は、ピアノを奏でるように打っている

そのくらい、この楽曲に魅了されていった

眠れなくて胸が苦しくて食べられなくなった

 

人は命を失うと分かったとき、沢山のことを望むだろう

それは共通項が沢山あって

そのうちのいくつものことがここにこめられていて

 

愛してると伝えることも

死が分かったときに、もっと沢山の思い出を作ればよかったとか

そういうものがすべてすべて、HYDE特有の言葉で綴られている気がする。

 

この楽曲は、非常に静かな時と動のときがあって

きっと、それは歌う言葉で決まっている気がして

日本語は、静かに愛を紡ぐし、言い回しも独特で

 

どんなに追い詰められても、直線的な物言いをしない言語かなと思う

それもあって、彼も座った形でMVを撮ったり歌ってるのかなって

 

逆に英語の場合は、激しさ、言語の持つ言いたいことを直接表す激しさや、

心に秘めた秘めた激しい気持ちを表すために、あえて激しく歌うのかなって。

 

そんなことさえ思ってしまう。

 

MVは真っ白なHYDEがアップから徐々に引いて一発どりだったらしい

でも、そこに意味がやっぱりあって

 

彼がいるのは、逃れられない「死の運命」を表す如く

「鳥かご」なのである。

私が、最初の詩を見た瞬間にイメージした、まさにそれで

逃れられない運命にいる自分、=死のようなものであった。

 

引いていった、最後に黒い誰かが横たわっている

たぶん、あれは、死の到来の証明なんだなって

 

あの曲は、死を予期した人が書いた曲であり、

それを召されるときに歌っている曲なんだなって思うのです。

 

届かない、届けたい、そんな曲なんだなって

当時のHYDEはソロになって、何を考えていたか知りもしないし、

神のみぞ知るところだろう

でも、そこに、あまりに美しい慈愛の様なものを感じる

 

あれを書いてからかなりの時間がたって

HYDEも大人になったけど

やっぱり、相変わらずの彼だけど

私の中で、この曲は、”this scenery is evergreen"なのです。