10年周期

結構、たくさんの音楽を聴いて生きてきた。

面白いもので、10年でいろんなものの節目が来ることが多い。

FCを継続しようか悩んだり、

興味が薄れたり、はたまた新しいものを見つけてしまったり。

10年というのは、そういう時間なんだと思う。

 

その10年のジンクスがまた当たってしまったみたい。

今年に入ってから、とっても音楽の変化が忙しくて。

 

元から山崎まさよしが好きだったり、ジャンヌダルクが好きだったり

ギターの音楽がとても好きなところがあって

特に作りこまれてたり、引かれた音だったり、

音の編成とか、日本語の歌詞にこだわるとこがあって。

 

そういう意味では、いつどこに落ちてもおかしくなくて

長く続いてたり、音楽的に面白いものが好きだったりする。

 

今年の頭に、ラルク好きだなーって思って、しばらく楽しんでたんだけど、

そこと並行して、最近は清春がとても好きです。

90年代に戻っていくというね。

友達が落ちかけたって話を聴いて、昔、知り合いが好きだったなぁみたいな。

たまたま聞いたら今の自分に合うみたいな。

 

黒夢sads時代よりも、今の清春のが好きみたいなパターンだった。

自分がどうすればかっこいいか、とか、

魅せるという意味合いでも見せ方が分かってるなと思う。

もちろん、声も歌い方も素敵だし、詩も素敵だし。

いろいろ言い始めたらきりがないね。彼に関しては。

 

hydeのが大衆的な所が強くて。彼の後継者っていまだに出てないし、ラルクみたいなバンドも多分、この先も出てこないなって私はどこかで理解していて、ある種の才能の爆発とか花火の様な美しさをラルクに私は見ている。hydeの詩とか歌に、ある意味、絵画のようなものを、私は感じ取るんだけど。

 

清春は、多分なんだけど、彼の絶頂といわれたときに彼についていける人がいなくて、後続の人たちがそれを、上手い事、形にして世界に出て行ったという感じがする。ある種の孤独というか、前衛的な嗅覚がなせる技なのか。才能の鋭さを感じる。それは今も昔も変わってないのかもしれない。彼も、芸術家なんだけど、前衛的なんだろうなって思う。あと、歌の中で演じてるイメージが強く浮かぶ。それはインタビューでも言ってるけど、ほんとに演者というか、そっちに近いのかもしれない。

 

 

 

スイッチって恐ろしくて、徐々に愛が冷めていくのは本当に悲しい側面もある。

あれだけ燃えていたものが冷めていくのは芸術的なまでに急速で美しく残酷で。

自分でもそれに気温を感じるというか、自分のなかにそういうものを感じるというか。

そこにいたときできた友達と温度差を強く感じるというか、ごめんねって思いながら、でも、今の自分が大事に思いたい人に思う気持ちを嘘をつきたくないし、冷めていく熱に嘘をつきたくない気持ちがある。

 

何かを愛することは、何かを失うことだなとつくづく思う、この上半期