明日の約束が私に遺したもの

明日の約束、フジテレビでここ数年でもっとも優秀な作品といってもいいのではないだろうか。

 

リーガルハイは、面白おかしく切り込んでいった

その反面 明日の約束は 真正面から立ち向かっていった作品だと思う

真正面かつ丁寧に、

毒親、いじめ、学校、マスコミ、SNS、教員、裁判

色々な論点で丁寧に描かれた作品だったように思います。

 

世界一不可解な死を追う話でしたけど、

私は、このドラマの中に、沢山の私を見つけました

 

いじめにあったことも

親が毒だったことも、助けてくれなかった教師

親に見てほしい自分、がんじがらめにされて苦しい自分、

復讐するかしないかの瀬戸際にいた時分

死のうと思ったことも、腕にかすかに残る傷跡も

救急車に乗ったことも

親に、謝ってほしいと怒鳴り散らした自分も

大事なものを奪われた自分も

 

 

世の中に生きていく誰もが、闇というものを持っていて。

それは当たり前のことなんですが

 

闇というもんに直面した時、

どうやって生き抜くか、逃げ延びるかということはとても大事なんです。

そして、その時から前に進むということも大事なんです。

「前に進む」と書くと、ポジティブすぎるかもしれません

普通の方が思う、「前に進む」ってすごく力強いから

でも、ほんとは、そんなことなくて

「乗り越える」「糧にする」

という意味なんです。

 

私は、たまにその過去に捉われて生きる人を見ます。

でも、過去は今を作ってくれているということを決して忘れないでほしい

今も、当時と同じように苦しいでしょうか。

そういうことです。

もしかしたら苦しいかもしれませんが、同じ苦しさでしょうか。

それは100%でしょうか

 

生きていれば、苦しいことが起きるのは当然です

庶民には庶民の、エリートの、そして子供には子供の苦しみが。

でも、成長すれば、生きてさえいれば

何か変わるかもしれないんですね。

 

呼吸をしている間に、少し何かが世界では動きます。

でも、私が死んでも世界の動きは変わりません

 

世界は私たちの為に変わってくれません

では、どうすればいいのか 生きていくしかない

それが どんなに失うばかりの生き方や人生であっても生きていくしかないんです

 

生きていく中で、変わっていくことはある

もしかしたら5年したら、家族がいるかもしれない

もしかしたら1年後に、素晴らしい出会いがあるかもしれない

もしかしたら明日、ご飯がおいしいかもしれない

 

だってその逆に 明日、望むことなく命を落とす人もいる

後悔して生きていく人も多いけれど

後悔して死んでいく人だって多いんですから

 

ならば 後悔して生きて、その日が来るまで死んでいけばいい。

時に生き抜くのが辛くなれば

だまして生きていけばいいと思います

人をだますのは良くないことです

でも、生き抜くために

自分をいい意味でだますということはだいじだと思う

 

そして、逃げることも

逃げなければやっていけない場面も沢山あるし

いい意味で逃げる 生きるための逃げは必要。

 

 

そうやって、前に進んでいきながら 生きながらえて

生きていって、その時が来るまで生きればいいのだと思います。

 

今の世は、人の死に対してあまりに軽薄です

このドラマは それに対して 警鐘を鳴らしていると思っています。