遅れてきた劣情

私は、失恋したわけでもなくて、振ったわけで

 

荷物を取りに行く日、自分でも驚くくらい感情を押し殺した。

 

それはイイことだったのか悪いことだったのか今でもわからない

 

でも、私は、今でこそ文字が紡げるようになったけれど、

一時期、ほんとにそれができなくなった。

 

18歳でブログを始めて以来、そんなことに見舞われることはなかった

仕事で書けなくなったことはあるけれど、スランプとして。

 

こうして書けないというか

自分なの中にある泉のようなものが、枯渇しているか、蓋が締まったか

いつもは戯れるように言葉を選んでいる自分が、どこにもいなくて

言葉をさがしている、自分がいた

 

ジャストミートな言葉が見つからない、そんな感覚

言葉が出てくる感覚が無い、そんな感覚

 

28年間生きてきて そんなことに見舞われたことはなかった

 

漠然と生まれる莫大な不安、自分は生きていけるのか、自分はどうなるのか

天下無双、天衣無縫 そんな言葉で表されてきた私ですけれど

それが崩れていった気がした。

 

10年の月日はあまりにも長くて、立ち直ることが早い私でも

さすがに、それは難しかったみたい。

 

こうしてやっと、じぶんが傷ついてることを自覚したから

こうして少しずつこみ上げてくる言葉に向き合えているのが救いで

言葉を失った私にとって、何よりの光のようなものだったりする

 

失わないと人は分からない

欠けないと人は分からない

ほんとにそうだ。

 

言葉は私の・・・・・・生きがい、生きざまだ。

早く戻ってきてほしい、でも、少し時間かかってもいい

いつもの言葉、自分では、まだそれが何かは分からない

でも、それが戻ってくる時を ゆっくり待つつもり