私は幸せ 私の最期

もう何年も前から気持ちは切れていたのかもしれない

 

そんなことを思うようになりました

少し前から

 

荷物を台風が接近する中、父と取りに行きました

 

大好きだった人のはずなのに、今はなんにもないの。からっぽ

 

2回目に実家に帰ったときから、もう婚活を始めようとしてて

家柄的にもね、変な所は無理だと思うし。

ようやく1か所決まったんだけど

 

向こうはきっと、死ぬほど悩んだんだと思う、よ。

今はSNSってのがあるからね。便利だよね。笑

 

私は同棲してから、死ぬほど家族に対する深い愛を認識した。

家族が大好き、色々あったからこそ、大好きで大事。

この家を女のみとはいえ、大事に思っている。

 

そして、家の違いって如実だなって

きっと向こうも色んなことを我慢したんだと思うけど

私はどうでもいいことには全く興味を示さないたちだから

私を喜ばすために、色々と頑張っていたんだと思う。

 

でも、私には世間の流行なんてどうでもいいことなんだ

好きな音楽も、好きな休日も、何もかも合わなかった気がする

私があわせようと思っても駄目だったし。

育てられ方も、育った環境も、親の愛の降らせ方も、何もかも違いすぎた。

 

おこりんぼの私が、無視を決めていられたのも珍しいことで

さよならもありがとうも言ってこなかった

 

家の長として父が2人でもういるのは危険だと一緒に行ったわけで

お金のことも都合をつけてくれたんだけど、

 

父が お元気でって言ってたのが致命的だと思う

 

向こうの両親 おばあさまに愛された私は

そのまま結婚してたら外から見たらきっと幸せだったのかもしれない

でも、きっと、いつか 壊れてたと思う。

 

言ったことが現実化することの多い私は

8年前くらいに「別れるかもしれないから」と言ったのを思い出した。

自分でも嫌になるくらい、言ったことが本当になる。嫌になるくらい。

 

だから、私は祈るように幸せになるんだと言っている。