誰が為に生きるのか

最近、そんなことをよく思います

例えば仕事を辞めるにしろ、恋人を選ぶにしろ

親が言ったから~

世間体がどうだから~ということを耳にします

 

でも、それってどうなんでしょうね。

 

私は、一流家庭の育ちの子を知っていますが、

本当に一流家庭の子っていうのはそういうものに確かに縛られているのかもしれません

なにかを犠牲にしてなにかを得て。

 

けれど、ほとんどのひとは、そうではないと思います。

何故なら、人はそれほど他人を見ていないからです。

それなのに、知ってか知らずか、それを言い訳にします

 

18歳成人論なんて、そんなものはとうの昔には予測されなかったことです

派遣社員、貧困家庭の激増、街コン、奨学金で苦難、そんなことを予想していた人は

20年前にどれだけいたでしょうか

 

つまり、昔の常識は全く通用しないし、

マナーや良識さえ覚えていれば、ある程度の知識さえあれば

それでいいんですよ

 

誰のために行き、誰の為に働き、誰を守り、

その答えは必然的に出るはずなんですよね

 

誰かのせいにして、自分で考えないぶつからない、そういうことを繰り返すから

誰かのせいにして生きて、ずっと永遠にそのままだと思って生きていく

本当にそうなってしまうもしくは、それ以下。

 

だって、20年前の常識も今の常識も

これから組み替えられていくものなのですから