私の幕が下りるとき

或る日、ふと部屋の掃除をしたくなった

 

その頃、酷く調子が悪くて 命を投げ出してしまおうかと思っていたくらいで

私の中で、何かが壊れてしまいそうな、そんな日々を送っていた。の。

 

色々とうまくいかなくて、色々と辛くて 板挟みで。

 

ふと掃除を始めたのです、ずっと忙しくて部屋の中が凄いことになってて

気分転換なのか分からないけど。

 

今までできなかったことを、ゆっくりと

一緒に暮らしてた時のものが入ってた段ボール、最後の1つに手を付けた

 

あなたとの、きっとこうすれば幸せだろうなっていう

夢を、淡い、でもどこか壊れるのを分かっていた夢

それは儚い夢を見ていたの

 

さいごに手を付けたそれに入ってたのは、冬物。

 

あけて段ボールを閉じながら気づいたの

「あ、私、あの恋を忘れることができたのね」と

あれからまた次の夏が来た

 

夏風邪よりもたちが悪い そんな恋の病におかされて

でも、精神的に落ち着いてるから

この恋は叶わなくていいと願っていて、分かっていて

 

ただただ、幸せを願い、ただただ、そばで支えたい

たった一人のあなたの秘書になりたい

そんな甘くて苦しい恋に落ちたのでした

 

 

それをはっきりと気づきました

 

 

 

あなたにぶつけられればと願ったあの 

紅の怒りはどこにもなくて

どこかで生きていればいいななんて思っていて

 

SNSも知ってるんだけど、会う気もないし

話す気もない。

 

でも、殴る気はなくなったかな

だって、そんなことよりも私の鼓動は強く走っていて

 

 

新しい恋みたいなものに彩られている

 

新しい財布が欲しい

新しい下着も服も、帽子も

今迄どうでもよかったアクセサリーも

全てすべて恋を自覚してから欲しくなったの

 

生まれ変わりたい

 

あなたの愛した私から

あなたを恋し、支えたいと心から願う私に

 

生まれ変わってるのかもしれないけど

 

生まれ変わりたいの

 

怒りの幕が知らずにクローズして

私の心には 恋の花が咲く季節が来ました

新しい幕が開きました、あいていました

 

この恋はきっと咲き誇ることはないでしょう

でも、きっと私は

それに満足して、次の私を作り上げるのでしょう

 

私は、いま、満たされています

 

 

 

 

 

拝啓 去年とこれからの私へ

 

元気ですか?

幸せな未来が見えていると思います。

仕事も回っているころだったことでしょう。

社会的意義のある仕事をして、大きな金額を動かして。

その人と結婚することが幸せだと信じていたでしょう。

でも、心のどこかでそれが嘘だとも思っているでしょう。

そして、それが当たってしまうことも

絶望にまた出会うことも、

 

次の夏が来る頃、貴女は去年よりずっと綺麗になっています

時間をかけて立ち直り

新しく叶わない恋をしています。

メイクを覚え、コンタクトレンズを入れて

ファッションセンスももっと良くなって

思いもしない仕事を始めて、天職だと気づいています。

沢山の人に出会い、

絶望の淵から沢山の愛をもらい立ち直ります

心から笑っています。自分は幸せになっていいのだと。

 

私の半年間は、教え子たちから愛をもらった半年間でした。

教える仕事をなめていました、

慢性化させた腱鞘炎、落ち着いていた状態がまた悪化しています笑

でも、それすら愛おしいほどにこの仕事を愛しています。

そして教え子や同僚も。

 

新しい恋は、きっとかないません。

貴方への思いは言葉にするつもりもありません。

私は直感だけは鋭いから、それだけは分かるんです。

 

でも、きっと、貴女はその恋を経てまた美しくなるでしょう。

そして、いとしい教え子たちの為に死ぬほど、頑張ることでしょう

だって、それが貴女の信じた道だから。

それでいいのです。ずっと病気で寝てたのだから、少しだけ死ぬ気で行きましょう。

 

チャラいとかホストとか、いろいろ言われながら

でも、きっとずっとそのスタイルで、可愛い子たちに未来を与えていきましょう

与えていくでしょうね。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

共感覚もちに聞こえている音楽

私は共感覚持ってます。

 

色んな感覚を持ってる方がいて、天からの贈り物とすらいわれています。

数字に色がついて見える人、文字に色がついて見える人、

要するに本来の感覚では起こりえないことが同時におこるということです。

 

私は、声に味覚を感じます。

そして、これが共感覚かは知らないけれど、音から色んなものが見えます。

聴覚が私の場合は、共感覚に関わってるみたい。

 

さて、昨日も書いたけど、私は音楽が大好きで、酔ったような感覚に陥るのです。

それは、歌い手さんの声が、一部の方の声がお酒みたいに聞こえるからです。

 

アコギや、ブルースハープの名手と知られる山崎まさよしさん

私はこの方も大好きなんだけれど

この方の声は、年々 芳醇になっていて。それはまるでワインのようだったりします。

ワインのようなものを舌の先に感じるのです。彼の声から。

 

これは彼だけではなく、生で聞いたことのある歌手だと

スガシカオさんにも、それはあって

彼の場合は、日本酒の様な澄み切った中に深い美味を感じます。

 

そして、先日、拝見した 安藤裕子さん

こんこんと湧き出る、湧水の様な味わい。

そしてその中に、柔らかな口当たり。多分、白に近いのかな。

 

そして、柴田淳さんは、どこまでも澄み切った水の味わい。

硬水ではなく軟水。

 

ちなみに、長澤知之君は、凄く強いお酒の様な。

私自体がそこまで飲まない人なので、分からないけど。

すごく酔ってしまいそうな、トリップしそうな味がするんです。

 

生で聞かないと味っていうのは分からなくて

でも、音源だけあれば、この人がいないと成立しないなって分かることってあって

解散するときも分かってしまって。音で分かってしまうというか純度が違うというか。

 

あと、このアーはこんな感じのイメージがするとかね。

ラルクアンシエルなんかは、私の中では、完全に絵画に見えていて

hydeが歌声でキャンバスに絵をかいてるイメージがすごく強い

 

VAMPSの場合は、もっと派手に描いてるというか、幼くなっているそんな感じ。

最早、キャンバスでもないかもしれない。

 

清春はね、ソロの時は本当に旅人のようで、行きつく先を探している 

そんな感じ、どこまでも一人で歩いている、そんな感じ。

黒夢の時は、時間がたつほどに、何かを放り投げていって、

どんどん鋭くなってとげが生えて

SADSの時は、もう本当に孤独という感じで、その中で強がってるイメージ。

 

Acid Black Cherryで知られるyasuは、あの人は文筆家のイメージ。

言葉にほんとに魂のせてる。

過去の作品みてもすごくそう思う。

それでいて、すごくうまいことPR上手いから、

やっぱりクリエイティブだなって思う。

 

YOSHIKIは、実は私の中で別格の位置にいて

彼の奏でるピアノって、すごく硝子とかクリスタルをイメージさせて

それでいて強い。

そして、書く詩は非常に洗練されていて、でも、短い言葉の中に、

あの独特のスタイルでもドラムが叩きつけられるような思いの激しさというか

燃える炎を感じています。

 

こんな感じで、私の耳には音楽は色んなものを味わさせてくれたり

見せてくれたりして、大事なエンターテイメントなんです。

 

 

 

 

HYDE evergreen

私は音楽が大好きで、大好きで音楽が無いと生活に支障を来したりする。

特に、移動中とか作業中は音楽が無いと困る。

まぁ、働いてる時は大丈夫なんだけれど、基本欲しい。

 

数年に一度、楽曲に恋をすることがある。

恋と書いたけれど、ほんとうに恋で、眠れなくなり、食べられなくなる。

胸が苦しくなる。

その位の雷に打たれてしまうことがある。

 

最近、ファンクからロックに戻ってきた。

戻ってきたというよりは、思考が変わった。嗜好でもある。

もともとABCのyasuが大好きで、大好きで。

彼が首を怪我を負ったことがきっかけだった

 

並行してある方を好きだったんだけど

私の生活が変わって、その人の音楽が響かなくなった

あの感覚はすさまじくつらいものだった

 

その間に台頭してきたのが

ラルクアンシエルhydeと、清春だった。

 

数年ぶりの雷は、HYDEが落とした。

彼のソロ初シングル evergreen 

まさに私の中の永遠となり恋をした

 

私は英語を教えている顔もあって

そして日本語フェチでもある。

 

彼は両方で歌詞を書くし、歌う、

だから、こそ、さらに雷が落ちた

 

 

evergreen

evergreen

 

 

 

evergreen 

そのジャケットは枯れた薔薇の華が飾ってある絵だった

 

 

初めてバンドを組んだメンバーががんに侵されたこと

をきっかけに書かれた楽曲だった。

 

全ての音の編成が完璧で、あまりにも美しいなと思った

その歌詞を見て、最初、何も知らなくとも

「永遠の別れの曲」であることは明白だった。

あまりに美しく儚く込められた願いが強く弱く可憐で涙が出た

 

バックヤードをしったあと、その可憐さや儚さはどんどんと強くなっていく。

このブログを書いている手さえも、私は、ピアノを奏でるように打っている

そのくらい、この楽曲に魅了されていった

眠れなくて胸が苦しくて食べられなくなった

 

人は命を失うと分かったとき、沢山のことを望むだろう

それは共通項が沢山あって

そのうちのいくつものことがここにこめられていて

 

愛してると伝えることも

死が分かったときに、もっと沢山の思い出を作ればよかったとか

そういうものがすべてすべて、HYDE特有の言葉で綴られている気がする。

 

この楽曲は、非常に静かな時と動のときがあって

きっと、それは歌う言葉で決まっている気がして

日本語は、静かに愛を紡ぐし、言い回しも独特で

 

どんなに追い詰められても、直線的な物言いをしない言語かなと思う

それもあって、彼も座った形でMVを撮ったり歌ってるのかなって

 

逆に英語の場合は、激しさ、言語の持つ言いたいことを直接表す激しさや、

心に秘めた秘めた激しい気持ちを表すために、あえて激しく歌うのかなって。

 

そんなことさえ思ってしまう。

 

MVは真っ白なHYDEがアップから徐々に引いて一発どりだったらしい

でも、そこに意味がやっぱりあって

 

彼がいるのは、逃れられない「死の運命」を表す如く

「鳥かご」なのである。

私が、最初の詩を見た瞬間にイメージした、まさにそれで

逃れられない運命にいる自分、=死のようなものであった。

 

引いていった、最後に黒い誰かが横たわっている

たぶん、あれは、死の到来の証明なんだなって

 

あの曲は、死を予期した人が書いた曲であり、

それを召されるときに歌っている曲なんだなって思うのです。

 

届かない、届けたい、そんな曲なんだなって

当時のHYDEはソロになって、何を考えていたか知りもしないし、

神のみぞ知るところだろう

でも、そこに、あまりに美しい慈愛の様なものを感じる

 

あれを書いてからかなりの時間がたって

HYDEも大人になったけど

やっぱり、相変わらずの彼だけど

私の中で、この曲は、”this scenery is evergreen"なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

安藤裕子 15th アニバーサリー

彼女に出会った頃のことを私はもうよく覚えていない。

 

ただ、次に覚えているとき、私は病に伏し、指先を動かすのも不自由だった

その時によく耳にしていたのが

 

六月十三日、強い雨

隣人に、光が差すとき

Lost,child

この3曲だったと思う

 

音楽ってその人によって解釈が色々あっていいと思うし

それぞれの使い方が合っていいと思う

 

私は、内面が凄く両極端で

死や命を考える私と、言葉にこだわる私と、

そして陽気な私と、ひどく静かな私がいる

要するにめんどくさいし、根暗な小人が住んでいる

 

 

病で何もできなくなった私に

その時、うまれてはじめて嫉妬に駆られたりして

出来ない自分を嘆いたり

時にいのちを消してしまおうとか、運命を呪ったり、全てを呪ったのを覚えている

それをすんでのところで止めてくれた1つの音楽が彼女の音楽だった。

 

 

去年、運命に導かれたように、「夜明け前」の開催を知った

しばらく活動がゆっくりだったのを分かっていた

でも、複数好きな私には、それはいいことだった、マイペースでいいんだよと

でも、そのチラシに書いてあることは「もう歌くなったけど頑張る」というものに近かった。

 

私の知る限り、そんなことはきいたことが無かった

 

でも、それは「夜明け前」で今思うと、端々に出ていた

向き合いたいのに向き合いきれない、どこかのこる何か、その違和感とか心細さ

壊れてしまいそうな何か 儚さを超えた孤独

 

1年の月日がたち、私も、色んなことがあった

15周年を彼女がどう迎えるのか、私も何を感じるのか

 

私には共感覚があり、味覚で音を感じたり、絵で見えたりする

今回の彼女は、こんこんと湧き出る水の様な音を奏でていた

 

それを感じた瞬間、私は 心から安心した。

あぁ、戻ってきた、安藤裕子の中のサリーが戻ってきた。と。

 

MCで彼女は、生活に色を付けたのは私たちとおっしゃたけど、ねぇやん、違うよ

 

私たちのそれぞれの生活に色を付けてくれたのは貴女

 

貴女の声、貴女の詩、貴女の音、貴女の歌、すべてすべて

私たちの生活にたしかに大きな力になってくれるの、

静かで柔らかくて力強い光なの。

 

安藤裕子、15周年、彼女の再生を確かに感じた瞬間でした

 

私が底から出ていく理由

私は、ある方のファンを11年ほど続けてきたけど

たぶん、今年でそれを大幅に縮小しようと思ってる

 

彼の存在はとても大きくて、病に伏したときに大きな力になってくれたりと

大きな生きる理由でいてくれた

 

なぜ、それでも抜けると決めたのか

 

単純にいうと好きが薄れてしまったということと

そこにいることが嫌な気持ちが大きくなってしまったからで

 

10年という時間の中で それは少しずつ薄れていって

それと同時に、自分にとっておおきな違う感動を見つけたとき、それのスイッチは入る

 

加えて、そこいいるのが嫌になったというのが大きい

私が まだ古参ではなく新人といわれたとき

 

そこは非常に綺麗な空気だった。

年々、それが純度を失っていくこと感じていて

それに少し嫌な感情を持っていたけど

SNSで、矢面に立たされることが起きて、それが明確になった

 

私は知らない でも、向こうは知ってる

そんなのプライバシー侵害だし、失礼極まりない。

 

彼のファンなのに よくそんなことできるなって思うことが多々増えた。

美しく生きたいと願う人に、罵詈雑言を浴びせられるとは思ってもいなかった

 

 

それと同時期に、民度の急激な低下を目にすることが増えた。

これが私にとっての大きな打撃となって、あぁ、無理だなって

自分が住むところじゃないと、距離を置くようになった

 

自浄作用が無いところに住んでいても仕方ないし

マークされてしまった私は、そこに住むメリットもないし、

変えていくこともできない。

 

生きづらくて居づらくて

だったら、いっそ距離を置いてしまおうと思っていた矢先に

 

新しい才能を見つけた

正確には もっと昔から ずっと活躍してる人だけど

それを見つけてしまったし、聴けるようになった。

 

趣味は楽しくありたいと思ってる

なんのための趣味だよと思う。

 

働くのなら多少嫌なことがあってもいいと思うけど

プライベートの最たる時間に楽しくなくてどうする。

 

今の私の魂が心躍る方に行こうと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

10年周期

結構、たくさんの音楽を聴いて生きてきた。

面白いもので、10年でいろんなものの節目が来ることが多い。

FCを継続しようか悩んだり、

興味が薄れたり、はたまた新しいものを見つけてしまったり。

10年というのは、そういう時間なんだと思う。

 

その10年のジンクスがまた当たってしまったみたい。

今年に入ってから、とっても音楽の変化が忙しくて。

 

元から山崎まさよしが好きだったり、ジャンヌダルクが好きだったり

ギターの音楽がとても好きなところがあって

特に作りこまれてたり、引かれた音だったり、

音の編成とか、日本語の歌詞にこだわるとこがあって。

 

そういう意味では、いつどこに落ちてもおかしくなくて

長く続いてたり、音楽的に面白いものが好きだったりする。

 

今年の頭に、ラルク好きだなーって思って、しばらく楽しんでたんだけど、

そこと並行して、最近は清春がとても好きです。

90年代に戻っていくというね。

友達が落ちかけたって話を聴いて、昔、知り合いが好きだったなぁみたいな。

たまたま聞いたら今の自分に合うみたいな。

 

黒夢sads時代よりも、今の清春のが好きみたいなパターンだった。

自分がどうすればかっこいいか、とか、

魅せるという意味合いでも見せ方が分かってるなと思う。

もちろん、声も歌い方も素敵だし、詩も素敵だし。

いろいろ言い始めたらきりがないね。彼に関しては。

 

hydeのが大衆的な所が強くて。彼の後継者っていまだに出てないし、ラルクみたいなバンドも多分、この先も出てこないなって私はどこかで理解していて、ある種の才能の爆発とか花火の様な美しさをラルクに私は見ている。hydeの詩とか歌に、ある意味、絵画のようなものを、私は感じ取るんだけど。

 

清春は、多分なんだけど、彼の絶頂といわれたときに彼についていける人がいなくて、後続の人たちがそれを、上手い事、形にして世界に出て行ったという感じがする。ある種の孤独というか、前衛的な嗅覚がなせる技なのか。才能の鋭さを感じる。それは今も昔も変わってないのかもしれない。彼も、芸術家なんだけど、前衛的なんだろうなって思う。あと、歌の中で演じてるイメージが強く浮かぶ。それはインタビューでも言ってるけど、ほんとに演者というか、そっちに近いのかもしれない。

 

 

 

スイッチって恐ろしくて、徐々に愛が冷めていくのは本当に悲しい側面もある。

あれだけ燃えていたものが冷めていくのは芸術的なまでに急速で美しく残酷で。

自分でもそれに気温を感じるというか、自分のなかにそういうものを感じるというか。

そこにいたときできた友達と温度差を強く感じるというか、ごめんねって思いながら、でも、今の自分が大事に思いたい人に思う気持ちを嘘をつきたくないし、冷めていく熱に嘘をつきたくない気持ちがある。

 

何かを愛することは、何かを失うことだなとつくづく思う、この上半期