死に向かっていく

私は人生のテーマは死んでいくことと還元していくことだと思ってる

 

名にも残さずに死んでいくなんてダサいじゃない。

些細なことでも残して伝えていければいつ死んでもいいなと思ってる。

 

私の人生はあまり後悔が無い、ないといった方がいい

 

何が起きても すべては私の肥やしだと思ってる。

 

今は、ライターはほぼ休んで講師の仕事に専念してるけど、

今の自分に満足していないので、動いている、実は。

 

もっともっとって思ってる。

貪欲になってる。

 

私はきっと長いこと、自分は何もできないと思っていて

そのまま生きていくのが幸せだと思ってたんだけど

 

大学生の頃、秘書してたり自分の適性を見つけ始めた

今年、また適性を見つけ出して。

 

私、できるじゃんって自信がついた。

 

自分がどれだけ生きるかわかんないけど

死ぬまでに、何かを誰かの心に残せたらと思ってる。

 

めんどくさい国になってきてるからこそ、

私くらいは、明るく生きていたい。

 

世知辛い世の中で、ずっと笑顔でいたいし、

パワーある人だねってずっと言われ続けたい

 

鳥かごの中にいた私は、もう終わり。

飛び立つとき、違う、もう飛んでるのきっと。

 

きっとできるわ

 

 

 

 

毒親

私の親は毒親である

 

親の厳しさのあまり 心を壊し

寝込んでた時代もある。

その手のプロに見てもらってた時もある。

最近、再開しようかなと思ってるくらいである

 

私はライターの仕事の傍ら、教える仕事をしている夜に

それで、帰宅時間が予定を1時間超えると、教室や私に電話がかかる

 

通勤時間わずか10分でもである

私はアラサーだけど。である。

年齢的に、そんなことが起きてもおかしくない。

それでもである。

 

毒親というのは便利である、

心配という感情をぶつける、それで子供の社会性を壊しに来る

それでいて子どもに 社会性が無いという非難を加える

 

子どもから社会性を奪っているのはどっちか。

 

しんどくてしかたない。

 

適職で正直、転職することも考えているくらいで

良い環境で働かさせてもらってるのに、それでも納得しない。

 

外に出ればお嬢さんといわれる振る舞いができているらしい

それでも、このざまである、こころがしんどい

 

私が愛したことが全てなしにされる

誰の為に生きてるのか、玉にわからなくなる。

 

そのくらいしんどい。

最近おかげで、しんどい。

 

しばらく 精神的に落ち着いてたのに

心療内科のドクターに また父親が暴れ出したねと言われた

私も久しぶりに 昔の先生にかかろうかと思っている

 

あまりにしんどいから

 

 

 

埋もれる才能

人間というのは、きわめて身勝手だ。

 

自分の世界で生きてるから自分の理解できないことは変だという

それがとんでもない勘違いだとも知らず、恐れず

 

私には高校生の時教師から 絶対音感?と勘違いされた音感がある。

先生、最初の音はこれ?と、発声して確認した時のことである。

絶対音感ではない、強い相対音感があるようだった。

目に関してはずっと記憶能力があるのを自覚していたが。

耳も思い起こせばあった。

 

あの人と別れてから、私は歌うようになった。たくさんたくさん

 

最初は何で歌うのかわからないけど、歌いたくなった とにかく歌うことに飢えてた

 

あの人は、昔、私の歌の好みを否定した。

私は、音楽の幅が広い。

アイドルも聞くし、ロックも聞く、それこそ中島みゆきも聴く

それのうち、ロックに関して否定された。のを強く記憶している。

 

元から、音楽の趣味が変わってるのもあるのかもしれない

皆と違う音楽を愛している自分を貫くことができなかった。

 

今は、その枷が外れた。

それからというもの、自分の耳の良さに気づいた。

 

聴いてる曲であれば、90前後で推移するのが当然になった。

難しいとされる 瞳の住人安定して87でる。そのうち90も取れるだろう。

 

元から歌詞に感情移入するから、表現力とかそういうのも問題ないらしい。

何を目指してるとかじゃなくて

10年近く歌えなかったことを取り返そうとしてるんだと思う。

 

私は歌うことが好きという感情とか、記憶とか、悔しさとか、悲しさを歌うことでながしてるんだとおもう。

 

だって、悔しいじゃない

ホントは下手じゃないのに、下手だと思い込んで思われて

ほんとは全然そうじゃないって。

 

私の心の傷を洗い流せるのは私だけ。

誰かにもできるかもしれないけど、きっと、今は私だけ

 

人は愚かだ

自分の常識外を 異常と決めつけて傷つける

それが何年のきずになるのかもしれず。

 

私も、誰かを傷つけないようにしよう

 

 

 

 

 

 

 

 

匿名は盾なのか

ツイッターで、peingという質問箱がある

誰でも質問できるというものだ

 

私は、ある界隈で物議をかもしたことがある。

問題提起をしただけの、ただのモラル論議という話だ

 

その時、めちゃくちゃに陰でたたかれたというか。

揚げ足を取られまくった。

 

そこから抜ける気はないけれど、今となっては民度の底の浅さが知れたことだったし

自分でも極めて落胆したのを覚えている

そんな中、あーたぶん、アンチみたいなのはいるだろうなって思ってる私がいて。

他のことも含めて。

 

ためしに初めて見た、Peing

その存在を洗い出すために。

 

アンチが沸いてくれて思惑通りだった。

性格が悪いとか

さげてあげてさげる文脈とか

質問が文脈がおかしいから、確認したらキレられたとか。

 

とりあえず、全部、論破無双してきた。

アンチを洗い出すことができたのと、文に入ってる情報から絞ることもできる。

潜在的な不満も出させることができて楽しかった。

 

ただ Peingを閉じて思ったのは、匿名だからって何でも投げていいのか

 

匿名だから何でも投げていいと思ってる人たちは

匿名に守られてるとおもっているんだろうなと

 

匿名ってそんなに偉いことなんだろうか

守られるべきことなんだろうか

そもそも、守られているか?権力があるのか?

というか、本当に匿名なのかという疑問が頭をよぎった

 

 

私の答えはNo

だって、匿名を振りかざして逮捕されている人の多さ

年々、増えているんではないだろうか

 

訴えられたら、直ぐに逮捕されるかもしれない、警告されるかもしれない

そういうリスクを考えているのだろうか

多分、考えてないよね。

匿名といううそっぱちの権力に胡坐をかいてる

 

私のことが怖いのだろう、Peingを閉じてから

本人から、意見は出てこなかった。

 

所詮は対岸の火事、いい機会だから言ってやろうって感じだったんだろう

でも、

匿名という条件が無ければ、何もできないんだなって

 

愚かだねって思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#me tooタグの恐ろしさ

SNSで、#me tooというタグが流行っているらしい。

私も、その当事者である。

 

でも、私は、そんなことで騒ぐことにはあまり意味がないと思っている。

私は、特殊な職業の方の専属秘書として働いていた。

その方は、本当に仕事が出来すぎて意味が分からないといった感じです。

私がそこにいられた理由も正直分からないのですが。

 

まぁ、そういう人だったわけで、お忙しいのもあったり、女の子が好きな方でした。

要するに普通にセクハラはありました。でも、私はそれを黙殺しました。

ある自分の中で線引きをひいて、それを越さない限りは。

ある組織の中にいて、私は流そうと思えば、それを流すことも証拠も押さえていました

 

でも、私はそれをしませんでした。意味が全くないから。

それよりも1分1秒と技術を盗みたかったから。

 

#me tooタグで思うのは、

私は生きていれば誰しもがそういう目に遭うと思っています。

痴漢だったら捕まえればいいです。

捕まえる前に、呼びかけるって手もあります。

私は、実際に通算10名強捕まえて、2名は呼びかけで辞めさせました。

そこで警察に電話するのも手としてありでしょう。

 

よほどひどければ、セクハラやモラハラそういうものは噂で出回ります。

訴えればいいのです、結託して。

そんな人のところに近寄らなければいいのです。

まぁ、多少のことは笑って許して生きた方が楽です、多少のことは。

 

私の場合はそうやって生きてきました。

 

私も同じような目に遭ってきた

そんなことは誰だって言えます。

 

何も覚悟もせず、何かを罵倒するのなら、

極端な議論ですが歩いててさされても文句は言えません。

 

声を上げるなとは言いません、

でも、声を上げるなら、結託して悪を退治すればいい。

結託してでも、嫌な目に遭っても戦う覚悟があるのか

その覚悟があるのかという話です。

 

私も、嫌な目に遭った

マジひどいね、

そんなやりとり、いい大人がしてどうするんですか。

 

嫌な目に遭ったら、許せないなら、証拠を残せばいいと思うし

そうやって、戦う覚悟もなく 罵詈雑言を並べるのは アホのやることでしょう笑

流行りに乗って、あいつムカつく とか大人のやることではないでしょう

 

明日の約束が私に遺したもの

明日の約束、フジテレビでここ数年でもっとも優秀な作品といってもいいのではないだろうか。

 

リーガルハイは、面白おかしく切り込んでいった

その反面 明日の約束は 真正面から立ち向かっていった作品だと思う

真正面かつ丁寧に、

毒親、いじめ、学校、マスコミ、SNS、教員、裁判

色々な論点で丁寧に描かれた作品だったように思います。

 

世界一不可解な死を追う話でしたけど、

私は、このドラマの中に、沢山の私を見つけました

 

いじめにあったことも

親が毒だったことも、助けてくれなかった教師

親に見てほしい自分、がんじがらめにされて苦しい自分、

復讐するかしないかの瀬戸際にいた時分

死のうと思ったことも、腕にかすかに残る傷跡も

救急車に乗ったことも

親に、謝ってほしいと怒鳴り散らした自分も

大事なものを奪われた自分も

 

 

世の中に生きていく誰もが、闇というものを持っていて。

それは当たり前のことなんですが

 

闇というもんに直面した時、

どうやって生き抜くか、逃げ延びるかということはとても大事なんです。

そして、その時から前に進むということも大事なんです。

「前に進む」と書くと、ポジティブすぎるかもしれません

普通の方が思う、「前に進む」ってすごく力強いから

でも、ほんとは、そんなことなくて

「乗り越える」「糧にする」

という意味なんです。

 

私は、たまにその過去に捉われて生きる人を見ます。

でも、過去は今を作ってくれているということを決して忘れないでほしい

今も、当時と同じように苦しいでしょうか。

そういうことです。

もしかしたら苦しいかもしれませんが、同じ苦しさでしょうか。

それは100%でしょうか

 

生きていれば、苦しいことが起きるのは当然です

庶民には庶民の、エリートの、そして子供には子供の苦しみが。

でも、成長すれば、生きてさえいれば

何か変わるかもしれないんですね。

 

呼吸をしている間に、少し何かが世界では動きます。

でも、私が死んでも世界の動きは変わりません

 

世界は私たちの為に変わってくれません

では、どうすればいいのか 生きていくしかない

それが どんなに失うばかりの生き方や人生であっても生きていくしかないんです

 

生きていく中で、変わっていくことはある

もしかしたら5年したら、家族がいるかもしれない

もしかしたら1年後に、素晴らしい出会いがあるかもしれない

もしかしたら明日、ご飯がおいしいかもしれない

 

だってその逆に 明日、望むことなく命を落とす人もいる

後悔して生きていく人も多いけれど

後悔して死んでいく人だって多いんですから

 

ならば 後悔して生きて、その日が来るまで死んでいけばいい。

時に生き抜くのが辛くなれば

だまして生きていけばいいと思います

人をだますのは良くないことです

でも、生き抜くために

自分をいい意味でだますということはだいじだと思う

 

そして、逃げることも

逃げなければやっていけない場面も沢山あるし

いい意味で逃げる 生きるための逃げは必要。

 

 

そうやって、前に進んでいきながら 生きながらえて

生きていって、その時が来るまで生きればいいのだと思います。

 

今の世は、人の死に対してあまりに軽薄です

このドラマは それに対して 警鐘を鳴らしていると思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こたえ

私は元来、自分に自信がある方だ

 

生まれもそれなりに良い

まぁ、容姿にコンプレックスはあるけれど、そんなものはどうとでもなる

自分が人一倍、努力家なのも頑張り屋さんなのも分かってる

努力ができることも。

仕事で大きな実績を出してきた。

 

でも彼を失って、仕事を失って

自分の中が 音を立ててガラガラと音を立てて

何かが崩れたのが分かった

 

自分が 何を見ればいいのか

自分は 何をやればいいのか

自分は誰なのか、

まさにゲシュタルト崩壊だった

 

自分の全てを奪われてしまったから

そんな気持ちだ。

 

昨日、ある神社に伺った

もう1年以上、お世話になっている、違う、生まれた時から。

そこに行くとき、私は何かが動く48時間以内に

 

 

偶然かもしれない

でも、それが何回も続くと、それは偶然ではない、そのレベル

何も望まない

 

でも、守ってもらってるのは分かってる

だから、いつも、ありがとう、今年もありがとうと

沢山沢山お世話になりましたって言いにいった、寒い日だった

その日、私は体を冷やして家で寝込んだ

 

休めってサインだった

そうだったのは確かだと思う

でも、ほかにも沢山あったみたい今回は

 

私の中で、大きな答えが2つも出た

 

これがどんな、答えになるのかわからない

でも、私は 大丈夫

 

 

頑張ったあたしという人格と一緒に生きていく

その子のことは、大事にして生きていく

でも、もう頑張らなくていいのっていってあげる、頑張ったねって。

もう、もう頑張らなくていいよって

あとは私に任せてって。

 

愛されるのに努力やきっかけ作りは必要

でも、愛されるのに、無理は要らない。

人生は、方向を変えれば、それでいいのって

嫌って程 分かった