笑顔の力

最近、やっぱりなんだか不安定だ

 

女性ならもともとそういう時期があると思うのでわかると思うが

私自身、やっぱりまだ抜けきっていない人格がいるみたいで、少し不安定だ。

 

昔の自分が、いなくなった気すらする。

 

何てこと思っていた。

こういう時って、人間、不思議なもので普段はしないことをするもので。

でも、そんなものにすがったって、現状は変わらない

 

私が現状を変えていくしかない。

 

ある人が大好きな私

彼の言葉が集められた本をふと開いた

 

自分が破壊的なことを知っている

だからこそ、上品にふるまう。

 

自分がいた

自分もそうだって自覚がある。

日本人らしくないところがある。

 

その人の言葉には幾度となく助けられた。

 

その一つに 笑顔!というフレーズがある。

実際にかけて頂いた言葉で

 

どんな疲れてたって、笑顔になれば良いことは起きるもんだ

 

母が今日、きっとなんも狙ってないだろうけど笑かしてくれた

 

それまでのもやもやとした気持ちが吹っ飛んで行った。

笑顔って大事だなと、

彼の笑顔を見ながら、そして楽しい気分になりながら思った

 

明日は甥っ子が来る、楽しみ。

町田樹という才能

私は、FPの試験で早稲田にお邪魔したことがある。

その時、ふと「町田君もここで勉強してるんだ…」なんて思うレベルのファンです

 

第九のプログラムで心を奪われて以来、ずっと私の中で唯一無二の存在。

でも、幕切れはあっという間にやってきて

目を離したすきに、引退してしまいました。

 

その後、たまたま見た情報で横浜のPIWに観に行ったのが今年の5月の話です。

仕事が鬼のように忙しいときにこじ開けてもらって見た感動は忘れられません。

第九の時に受けた衝撃がまた全身で生で見たからこそさらに走ったような。

 

ドキドキで、私の中では。一個人の感想ですが。

彼が引退した時に、時計が止まったんですよね。

そのくらい、才能に恋してます、今でも。

 

そんな彼が、解説をすると聞いて。

行くことはできなくて、行きたかったんですけど、場所的に難しくて。

プライベートもその時、結構悲惨なことになってて

結果として、チケット取らなくてよかった状態でした。

 

 

私は、語彙が多い方です。仕事柄当たり前ですが。

 

それでも、町田樹という人を語るのに言葉が見つからないんです。

私には音楽や技術、歴史、ありとあらゆるFSに関する

色んな情報や知識が足りないっていうのも当たり前に前提としてあるのですが

 

それを補ってもなお、恐らく、永遠に見つかることはないでしょう。

だって、彼は、本当に本当に素晴らしいから、生きざまさえもオリジナル。

オリジナルって言葉に頼りたくない。

 

FS一本で生きていくことは、トップスケーターの方ならできると思います。

町田君だってそう、恐らくできたでしょう。

でも、それを最初から考えず、自分の実力で生きていくと決めて

 

本当に戻ってきて、

戻ってきただけにとどまらず、今回の解説という新しい仕事のドアを開ける。

誰が、予想したことでしょう、多分誰も予想してなかったと思います。

いい意味で裏切られました。

 

私、バジルを観た時に思ったのは

町田樹町田樹であることを喜んでいる・体現している」といったことなんです。

 

解説をみて聴いて思ったのは

「やっぱり町田樹町田樹で、本人は自覚がないけれど、あふれ出ている」という事でした。

 

言葉の選び方や、語り口が私の感じ取っている町田樹という人とずれていないというか。いい意味で裏切られなかったのです笑

 

よく「個性は消せない」といわれますが

本当に消せないなと。

そして現役時代が割と長かったからこそ色々ときっと生の言葉が出てきているというか

「彼の知っていることを彼の言葉で、瞬発的にある意味素で語っている」という印象を受けました。

 

それがいい意味で、解説に生かされたのではないかと。

 

この先、彼がどういうスタイルでFSに貢献していくか、接していくかは

神のみぞ知る、といったところですが

彼が愛するFSを彼の望むように生きていければなと思った次第です。

 

ちなみに、白鳥の湖

言わずもがな。

 

 

「魅せる」ことに終始して。

ステージ全体や照明さんなどと連携していて、

まさに氷1粒も含む全てが一体になったエンターテイメントをだなと思いました。

 

 

ジャンプが注目されがちなFSの今に逆らうように

ジャンプをここぞという処でのみ使って。

古典バレエをいい意味で混ぜ込んだのかなと思いました。

 

だって、彼PIWのパンフレットでそう思わせるようなことを語ってましたから。

 

 

 

遅れてきた劣情

私は、失恋したわけでもなくて、振ったわけで

 

荷物を取りに行く日、自分でも驚くくらい感情を押し殺した。

 

それはイイことだったのか悪いことだったのか今でもわからない

 

でも、私は、今でこそ文字が紡げるようになったけれど、

一時期、ほんとにそれができなくなった。

 

18歳でブログを始めて以来、そんなことに見舞われることはなかった

仕事で書けなくなったことはあるけれど、スランプとして。

 

こうして書けないというか

自分なの中にある泉のようなものが、枯渇しているか、蓋が締まったか

いつもは戯れるように言葉を選んでいる自分が、どこにもいなくて

言葉をさがしている、自分がいた

 

ジャストミートな言葉が見つからない、そんな感覚

言葉が出てくる感覚が無い、そんな感覚

 

28年間生きてきて そんなことに見舞われたことはなかった

 

漠然と生まれる莫大な不安、自分は生きていけるのか、自分はどうなるのか

天下無双、天衣無縫 そんな言葉で表されてきた私ですけれど

それが崩れていった気がした。

 

10年の月日はあまりにも長くて、立ち直ることが早い私でも

さすがに、それは難しかったみたい。

 

こうしてやっと、じぶんが傷ついてることを自覚したから

こうして少しずつこみ上げてくる言葉に向き合えているのが救いで

言葉を失った私にとって、何よりの光のようなものだったりする

 

失わないと人は分からない

欠けないと人は分からない

ほんとにそうだ。

 

言葉は私の・・・・・・生きがい、生きざまだ。

早く戻ってきてほしい、でも、少し時間かかってもいい

いつもの言葉、自分では、まだそれが何かは分からない

でも、それが戻ってくる時を ゆっくり待つつもり

 

 

 

私は幸せ 私の最期

もう何年も前から気持ちは切れていたのかもしれない

 

そんなことを思うようになりました

少し前から

 

荷物を台風が接近する中、父と取りに行きました

 

大好きだった人のはずなのに、今はなんにもないの。からっぽ

 

2回目に実家に帰ったときから、もう婚活を始めようとしてて

家柄的にもね、変な所は無理だと思うし。

ようやく1か所決まったんだけど

 

向こうはきっと、死ぬほど悩んだんだと思う、よ。

今はSNSってのがあるからね。便利だよね。笑

 

私は同棲してから、死ぬほど家族に対する深い愛を認識した。

家族が大好き、色々あったからこそ、大好きで大事。

この家を女のみとはいえ、大事に思っている。

 

そして、家の違いって如実だなって

きっと向こうも色んなことを我慢したんだと思うけど

私はどうでもいいことには全く興味を示さないたちだから

私を喜ばすために、色々と頑張っていたんだと思う。

 

でも、私には世間の流行なんてどうでもいいことなんだ

好きな音楽も、好きな休日も、何もかも合わなかった気がする

私があわせようと思っても駄目だったし。

育てられ方も、育った環境も、親の愛の降らせ方も、何もかも違いすぎた。

 

おこりんぼの私が、無視を決めていられたのも珍しいことで

さよならもありがとうも言ってこなかった

 

家の長として父が2人でもういるのは危険だと一緒に行ったわけで

お金のことも都合をつけてくれたんだけど、

 

父が お元気でって言ってたのが致命的だと思う

 

向こうの両親 おばあさまに愛された私は

そのまま結婚してたら外から見たらきっと幸せだったのかもしれない

でも、きっと、いつか 壊れてたと思う。

 

言ったことが現実化することの多い私は

8年前くらいに「別れるかもしれないから」と言ったのを思い出した。

自分でも嫌になるくらい、言ったことが本当になる。嫌になるくらい。

 

だから、私は祈るように幸せになるんだと言っている。

 

私は幸せ あなたの答え

私は誰かと交際している間に、その人の悪口を言わないという約束があった。

自分のなかの自分の知らない約束みたいなことだった。

 

私は、誰一人として、かれの悪いところを言わなかった

言ったのは一緒に暮らし始めて喧嘩したことが多分初めてだろう

 

だから、友達は口をそろえて

はるちゃんなら大丈夫と言ってくれてたし、

私を信じてくれた。

 

私も信じてたというか、

飲み込んでいたのか

本当にどうでもよいことだったのか

今となっては分からない

 

私は文章を見れば人を判別する能力に近いものがある。

そりゃそうだ、文章でお金稼いでるんだもの。

彼の父とそっくりな文体に分のセンス、私には誤魔化しの効かないことでした。

 

SNSで彼のアカウントをたまたま知ってしまうことがあった。

この間、それをちらっと見てしまった

 

私のことを、私とのことをネタにしていた。

ネタになんかできないと思うんです。

結婚前提だったことって。

 

私は破局してから、それを付き合いのある友人にのみ教えている。

ごめんなさいと、心配かけてごめんと、

でも、また頑張るからこれからも仲良くしてくれと応援してくれと。

それで、みんなが応援してくれて、幸せ者だなって思ったくらいだ。

師にいたっては電話をしてきてくださった位だった。

 

ネットでは一切口を塞いでいる。

何も言っていない。私との約束を守り続けた。

 

その間に、彼は破った

あなたは知らないと思う、私が気付いたことに。

知ってても、私にはたどり着けないと思う。

辿り着いても別にいいけど、だって先に言ったのは貴方なのだから。

 

 

私がずっと私としていた約束を守り抜いたのに

そういう風に返すのかと、

そういう風にするのかと、

どうしてなんだろうと理解が追い付いていかず。

静かにどこか激高しているようで、ドクターに怒っていいと思うといわれた。

私は心の一部を置いてきてしまっているのかもしれない。

 

私はどうするんだろう。

今は、記憶も良いことも悪いことも消えてしまったから。

その日が来るまで、分からない

明日の約束

私はいわゆる毒親育ちだ。

今となっては母親の方がまずいけど、昔は父親の方がまずかった。

 

いわゆる過干渉という家庭に育った

「こうしなければならない」

「こうでなければいけない」

「常にいい成績でなければいけない、いい子でなければいけない」

「何は見ちゃいけない、だれとは付き合えない」

「親を怒らせてはいけない、馬鹿なことを口にしてはいけない」

 

そんな家庭で育った。

過保護と過干渉は比較対象にならないものです。

なぜなら、そこに子供の自由があるか無いか。

私は今でこそ、そこを抜け出したけど 自由はありませんでした。

 

15歳になってたまたま、地元の友達と遊んで駅ビルに入るまで存在も知らず

遠方に通っていたから直行直帰で帰宅する毎日でした。

16時なのに電話がかかってくることもありました。

体が弱いから部活はさせてもらえなかった。

交際は極秘でした

他の成績が良くてもたった一教科で説教2時間、過呼吸にもなった

具合が悪ければ八つ当たりされ、自分の病院に行くこともびくびくしていた

 

 

家に帰るのが一番嫌いだった、学校でいじめられても言わなかった

その証拠に、歯医者に行くのをためらって、神経を抜くことになった。

そして、神経性の突発性難聴を繰り替えしたらしく、親との関係性が良くなるまで、左耳はある音が著しく聞き取れない状態になっていました。

最後には、うつ病にかかり、婦人科も病院に行く勇気が出なかったため、倒れた時には早急に療養生活が必要なほどでした。

 

 

毒親育ちのひとならわかると思うけど、家庭は監獄。

私は誰という感じ、反抗ってホントにできない。

 

明日の約束はの1話を視た。

彼の最期、彼は自分の生きてた過程をたどった

私にはその気持ちが分かる、当たってるかは知らないよ

何回かあった、その「消えたい」いう気持ちは「自分の生きてきた日々」を思い起こさせた。辿らせた。

きっと、自分が生きていたのか、分からなくなるほどに自我がなくなっていたのかもしれない、今思うと。

何回か「消えよう」としたことがあるので、そんな気がする、私には。

 

家族の問題って実は複雑で、血がつながってるから捨てられないことや、言えないこと、いっちゃいけないことがある

私は、専門のカウンセラーに救われた。

家族を一度捨てたことがある。

 

離れないと、距離感ってわからない、友達とは他人で最初から離れてるのが当たり前

家族はそうじゃなくて生まれた時から一緒で、暴力的にまで一緒。

それが暴力なのかやさしさなのかは家族のカタチによるけれど

 

彼が消える前の行動には、きっとそういう意図が隠されている

そして、部屋を黒に染めたのは、多分、彼なりの反抗なんじゃないかなと私は思う

全てを管理下に置かれた人間が、管理外で行ったことって背徳感と快感がすごくて、そのバランスは極致といってもいい。

 

自分の意志で生きたかったんじゃないかな、

そう願いながら、彼はそれが願ってもかなわない未来だと気づいて絶望してしまった

誰が動いてもダメだと何かの節に思ってしまったのかもって思った

 

彼はきっと生きたいと願いながらかなわない夢だと思いながら

消えるという選択を選んだんじゃないかな

 

毒親育ちやいじめにあった人なら分かると思うけど

消えたいと願う瞬間はすぐそばにあって、それを実行に移すか移さないか

それは本当に本当に紙一重で

 

その紙一重で私は、今、生きながらえてるんだと思う

 

紙一重を越してしまったのが彼、

その前にSOSを出せたのが、親を捨てた彼女なのではないかな

そして、日向は きっとまだもがいてる

 

好きだったから憎むの

 

ねぇ、憎くて仕方ないわ。

憎くて憎くて、元婚約所が、憎くて仕方ない。

 

生活費を入れず、勝手に大きな買い物をして、勝手に旅行先を決めて、

私にも親に嘘もついて、親の財産目当てで、親に謝罪もせず。

ねぇ、私からどれだけのものを奪った?

きっと自覚もないし あなたからしたら、どうでもいいことばかり

でも、私にとっては、大事なものばかり奪っていった。

 

ねぇ、きっと無自覚だよね。知ってる。

ねぇ、あなたサイコパスなのかしら。

 

ビジネスパートナーを失った。

仕事も失った、健康も損なった

友人にも師にも迷惑をかけた心配をかけた。

ねぇ、どれだけの損害だと思うの?

 

あなたの身勝手に振り回されて。

くそみたいな本当に 絶望と怒りしかない

 

あなたのこと、私ができる最高の形で切り捨ててあげる

損切、10年分の損切をあなたに

憎しみを込めた花束を君にあげるよ

私を怒らせるなんて、本当に馬鹿ね。大バカ者。