明日の約束

私はいわゆる毒親育ちだ。

今となっては母親の方がまずいけど、昔は父親の方がまずかった。

 

いわゆる過干渉という家庭に育った

「こうしなければならない」

「こうでなければいけない」

「常にいい成績でなければいけない、いい子でなければいけない」

「何は見ちゃいけない、だれとは付き合えない」

「親を怒らせてはいけない、馬鹿なことを口にしてはいけない」

 

そんな家庭で育った。

過保護と過干渉は比較対象にならないものです。

なぜなら、そこに子供の自由があるか無いか。

私は今でこそ、そこを抜け出したけど 自由はありませんでした。

 

15歳になってたまたま、地元の友達と遊んで駅ビルに入るまで存在も知らず

遠方に通っていたから直行直帰で帰宅する毎日でした。

16時なのに電話がかかってくることもありました。

体が弱いから部活はさせてもらえなかった。

交際は極秘でした

他の成績が良くてもたった一教科で説教2時間、過呼吸にもなった

具合が悪ければ八つ当たりされ、自分の病院に行くこともびくびくしていた

 

 

家に帰るのが一番嫌いだった、学校でいじめられても言わなかった

その証拠に、歯医者に行くのをためらって、神経を抜くことになった。

そして、神経性の突発性難聴を繰り替えしたらしく、親との関係性が良くなるまで、左耳はある音が著しく聞き取れない状態になっていました。

最後には、うつ病にかかり、婦人科も病院に行く勇気が出なかったため、倒れた時には早急に療養生活が必要なほどでした。

 

 

毒親育ちのひとならわかると思うけど、家庭は監獄。

私は誰という感じ、反抗ってホントにできない。

 

明日の約束はの1話を視た。

彼の最期、彼は自分の生きてた過程をたどった

私にはその気持ちが分かる、当たってるかは知らないよ

何回かあった、その「消えたい」いう気持ちは「自分の生きてきた日々」を思い起こさせた。辿らせた。

きっと、自分が生きていたのか、分からなくなるほどに自我がなくなっていたのかもしれない、今思うと。

何回か「消えよう」としたことがあるので、そんな気がする、私には。

 

家族の問題って実は複雑で、血がつながってるから捨てられないことや、言えないこと、いっちゃいけないことがある

私は、専門のカウンセラーに救われた。

家族を一度捨てたことがある。

 

離れないと、距離感ってわからない、友達とは他人で最初から離れてるのが当たり前

家族はそうじゃなくて生まれた時から一緒で、暴力的にまで一緒。

それが暴力なのかやさしさなのかは家族のカタチによるけれど

 

彼が消える前の行動には、きっとそういう意図が隠されている

そして、部屋を黒に染めたのは、多分、彼なりの反抗なんじゃないかなと私は思う

全てを管理下に置かれた人間が、管理外で行ったことって背徳感と快感がすごくて、そのバランスは極致といってもいい。

 

自分の意志で生きたかったんじゃないかな、

そう願いながら、彼はそれが願ってもかなわない未来だと気づいて絶望してしまった

誰が動いてもダメだと何かの節に思ってしまったのかもって思った

 

彼はきっと生きたいと願いながらかなわない夢だと思いながら

消えるという選択を選んだんじゃないかな

 

毒親育ちやいじめにあった人なら分かると思うけど

消えたいと願う瞬間はすぐそばにあって、それを実行に移すか移さないか

それは本当に本当に紙一重で

 

その紙一重で私は、今、生きながらえてるんだと思う

 

紙一重を越してしまったのが彼、

その前にSOSを出せたのが、親を捨てた彼女なのではないかな

そして、日向は きっとまだもがいてる

 

好きだったから憎むの

 

ねぇ、憎くて仕方ないわ。

憎くて憎くて、元婚約所が、憎くて仕方ない。

 

生活費を入れず、勝手に大きな買い物をして、勝手に旅行先を決めて、

私にも親に嘘もついて、親の財産目当てで、親に謝罪もせず。

ねぇ、私からどれだけのものを奪った?

きっと自覚もないし あなたからしたら、どうでもいいことばかり

でも、私にとっては、大事なものばかり奪っていった。

 

ねぇ、きっと無自覚だよね。知ってる。

ねぇ、あなたサイコパスなのかしら。

 

ビジネスパートナーを失った。

仕事も失った、健康も損なった

友人にも師にも迷惑をかけた心配をかけた。

ねぇ、どれだけの損害だと思うの?

 

あなたの身勝手に振り回されて。

くそみたいな本当に 絶望と怒りしかない

 

あなたのこと、私ができる最高の形で切り捨ててあげる

損切、10年分の損切をあなたに

憎しみを込めた花束を君にあげるよ

私を怒らせるなんて、本当に馬鹿ね。大バカ者。

 

ごめんなさいのメール その後

私は大学在学中に教授の秘書をしていたことがあります。

 

私にとっては師匠です。

その先生とは卒業して、しばらくたった今でさえなお、お付き合いがあります。

私はフリーで働いているので、たまに大学に顔出すんです。

そして、節目節目でメールも打つんです。

 

今回のことがあって私は、先生にごめんなさいのメールをしたんです

幸せになれなくてごめんなさいって、不出来な教え子でごめんなさいって

先生はいつも、私に良いことがあっても悪いことがあっても電話をくれます。

繁忙時以外は。

 

今回もそうでした

入ってきたショートメール、

たまたま、寝る数時間前に飲むハーブティをとりに自室に戻ってきたタイミングでした。

いつもそう、いつもはかったようなタイミング。

 

色んなことをお話しさせていただくんですけれども、

お話を聴かせていただくんですけれど。

先生の言葉はいつも、優しくて深くて面白くて、見識が深くて私には本当に薬。

そして、たまに関係性が謎なくらい、お互いの内緒話もするんですけれど、

私が卒業生だから良いのです笑

今回は本当に、心配していただいて、お気遣いいただいて、

メールの段階で、もう泣きそうだったんだけど、内心、危なかったです。

 

 

あぁ、この人の教え子でよかったっていつも思います。

らしくない、きみらしくない、そんなの、頑張ることでも謝ることでもない。

今はゆっくり休んで、顔見せてくれって。

そういって曜日まで指定してくれる先生が、私は、心の底から尊敬してるんです。

 

もうだいぶ、出世なさってしまったけれど。私の大事な師匠です。

ごめんなさいの手紙

私は手紙を書くの趣味の一つだったりします。

趣味なのか、なんなのかよくわからないのですが、書くこと自体が趣味なんだと思います。打ち込むこともかくことも私には一緒です。

 

ある人のファンになってからそうなったんですけれども。

最近、長年付き合ってきた彼との同棲を解消して、そのことを色んな人に言わなければならなくて。

私、友人の集まりは必ず、幹事を任されていてというか、私が一番上手いので笑

 

それで、年末にとか、会う時期が決まってる友達や

文通をしている友達だとか、いろんな人が全国にいて。

その人に、その事実を言わなければならないんですよね、責任だし、住所変わるし笑

 

いつもはとりとめもないことや、

自分より若い友人には、相談に乗ったり、

楽しいことを書くんです

相手を思いながら

そうやって手紙を書くんです

そして、いつも紅茶を入れるんです。

 

私は比較的、安定しない人生を送っていて。

病気をして療養の為に引っ越ししたり、より高度な治療を受けるために戻ったり

家を飛び出したり実家に戻ったり。

色んなことがあったけれど

余り、今迄、なんというか、心苦しい手紙って書いたことなくて

前向きに移動したとかそういう色が強くて。

今回もそうだったんだけれども

 

でも、やっぱりそれでは書けない人もいて。

師にあたる方って、それをお話しするのが本当につらくて

でも、もっとつらいのは、それを隠したまま、これからを過ごすことなんですよね。

 

自分を偽って、私は変わらず幸せですなんて、私は自分が尊敬してる人に言えない。

だって、尊敬するくらいに近くにいた人で、感謝してるから。

嘘をつくのは簡単、良い人ぶるのも簡単、でも、きっと罪悪感で心がむしばまれる。

私はそういう人間だから

 

ごめんなさい、こんな報告で

でも、先生に嘘をつきたくなくて…と

勇気をを振り絞って、ダメな教え子だなって思いながらメールを打っていた

そんな一日でした。

 

思えば

思えば私の短い、共に暮らした時間は自分の持っていた習慣を壊したものばかりでした

 

私だけではなく、人というものは習慣とともに生きています。

食べ物からお風呂、全てのことが習慣として根付いているのです。

 

一緒にだれかと暮らすということは、それを破壊して再構築するものだと思うのだけれど

私は、人に合わせるのが上手くありません、すごくマイペースで。

でも、頑張ったと思うんだけどね

 

色々と自分の中にあった習慣を壊してしまいました

自分の中にあった大事な習慣です。

それのおかげで、だいぶ自分もかわれたのに

 

いくつか前の記事の中で私はキラキラは虚像だと書いたけれど、私がそうだったのかもしれません。

普通の女の子になりたくて、できる限り、お付き合いしていた人に合わせて

それが幸せだと信じたかったのかもしれない。

それが愛されてることだってことだと思いたかったのかもしれない。

 

でも、私の本当に求めていることや、考え価値観は違って

私の中に根付いていた習慣が破壊され、私は最終的に、最低限のことをするので精いっぱいのロボットのような生活を送っていました。

私はどこにいたのか、私にもわかりません。

 

それが幸せかといわれたら 答えは言わずもがなですよね

あまいな、私も。まだまだ頑張らないとなと思いながら。

 

それでも、人は安心できるところにいれば回復するもので

こうして文章は書けるようになり、お昼ご飯を作れるようになり

今日も仕事をするのです。

 

人間って、強い生き物です

そして弱い生き物です

パパ 誕生日おめでとう

私の父は 非常に厳しい人で頭のいい人です。

 

そんな父の誕生日です。

 

今は尊敬しています、私が恐らくどんな努力をしたとしても父には勝てないです。

そのくらいの努力家であり、頭の持ち主です。

 

私の父は若いころ。

実家の工場を手伝いしながら、大学教授の手伝いをしていた人です。

片方には実家の仕事を引き継ぐ未来、そして、もう一つは大学教授を確約された未来。

そして、ある企業で技術者として働く未来すらありました。

そのくらいのひとです

 

過労が原因で40歳の時 倒れました。

 

そのあと、私と弟が生まれました。

 

父は鬼の様に厳しかったです、幼かったころ、

私は映像記憶能力というものがどうやらあるようで、

今でも幼いころに見たことをいくつか覚えています。

そのうち1つは、映像ではなく雰囲気で 

あったはずのない死んだおじのことを覚えています。

そして、もう一つは 

家に嫌がらせされた瞬間を見ていて、それを今でも再現できるのです。

恐らく確かな能力です。

 

そんな私は幼いころから、神童と呼ばれた弟と兄の2人に挟まれ、

勉強が得意ではありませんでした。

必死に勉強しても、向き不向きが強い余りに、よく怒られました。

お外で遊ぶのも時間の制約がありました、色んなことを制限されて生きてきました。

 

そのせいで、一時期

聴覚が一部失われました、最近、戻ってきたのですが。

 

一時期、あまりの厳しさに心をバッキバキに折られたことで実家を飛び出したこともありました。

 

でも、その時はじめて父とぶつかって更に逃げ回り

重篤なアレルギーを発症して家に戻ったとき、父から昔のような鬼はいなくなっていました。

 

それからは、弟が結婚したり、父が手術したりと穏やかな時間が過ぎて。

今ではすっかり溺愛されている私なわけですが

 

家にいることの多い私は、父と一番話すのです。

そして、つい最近まで同棲していた私もまた、よく実家を思っていました。

 

気づいたら一番、尊敬しているのは 父でした。

 

私は、今年、父にバースデイカードを書こうと思っていました

でも、同棲解消に伴い、心神喪失状態にほど近くなってしまい、書けませんでした

 

書くことは、自分と向き合うことなんです。本当に。

言い訳がましいかもしれませんが、父にすら文字を書くことができ状態ではなかった

 

69歳の父の誕生日、悔しいです。

お父さんのこと、大好きで尊敬してるのに、その気持ちすら出せなかった自分が悔しい

1年後、書けるかな。書きたいな。

 

頑張ろう、ひたむきに頑張ろう

あぁ、悔しい悔しい

そんなことを思う、娘の私なのでした。

 

「私は幸せ 私の答え」

 

リリースが決まった時から、こころがざわついていた

「私は幸せ」

 

私はずっと心がざわついていた

私は幸せなのか、と。

その時の私は10年付き合った彼と同棲していたんだけれど

自分が自分でなくなっていたようだ。

 

まだ、実家に戻って時間はたっていないのだけれど

今になって振り返ると、私はきっと長い間、幸せじゃなかった気がする。

ちゃんと恋愛ができなかったのだとおもう。

 

両親に愛され、家庭は確かにいびつで

いろんなことがうまくいかなかった、けど。

それもぶつかりあって解決したはずなのに。

すべてうまくいくと思っていたのに。

 

彼でいいと、そう信じていたかっただと思う

私はきっと、それが幸せだと思っていたし、信じていたかったのかもしれない。

すがりたかったのかもしれない。

そんなにかわいくなくたって彼氏がいて、そんな自分でいたかったのかもしれない

そのまま結婚して子供を産んで普通になりたかったのかもしれない。

 

世間に背いて生きて、世間がうらやむ10年愛で結ばれたかったのかもしれない。

一番、世間を気にしていたのは、こびていたのは私なんだと思う、きっと。

一番普通に焦がれていたのは、きっと私だったんだろう。

生まれた時から、体が強くなくて普通に働くこともできないのにね。

今は、一番普通に到達したいというか、普通がまぶしい。

悲劇のヒロインとかじゃなくて、家族連れがまぶしい。

私はどこで間違ったのだろうと。後ろを向いても仕方ないけど。

 

私は幸せか、と問われたら、今は幸せと答えるであろう。

でも、この10年はと問われたら、悔いはないけど、

無理しすぎたかなってきっと答えると思う。