L

私は中学生の頃にジャンヌダルクを聴き始めました。

ジャンヌが解散後、ABCもちょこちょこ聞いていました。

 

私は2011の震災で、友人の父母を失いました。

友人も被災地のひとで、その日のことは今でも覚えています。

だから2012が出たとき、救われたようでした。

あの日、私は彼女が 東京にいると思ってた自分を責めました。

余りの無力さに、立ちすくみました。

その後、彼女はなぜか音信不通になり、私は今も、悲しみを胸に生きています。

2011は私の中で2回起きたのです。

 

最近、Lを買いました。

yasuは常々、商業的な才能にたけた人だと思うのです。

もちろん歌い手としても非常に素晴らしい。

ジャンヌが解散した理由も、色々憶測がありますが納得してるものがあります。

 

でも、このLは私は本や映画は見ていませんが直感的にわかるのは

「Lは今の日本を象徴する作品」であるということでした。

だから、本になり、映画にまでなった。

 

Lはある女性の物語

美しい、それ故に、愛を求めただけなのに。

欲しかったのは愛、Lはそう愛がほしかっただけ

 

LのLは名前だけではないきっと

欲しかったLoveや要らなかったLieや、苦しかったLonly、

そして人生のLastに彼女はLは何を手に入れるのか。

 

今の時代は不安定だからこそ、

孤独で不安で動けなくて疑ってしまう人が多い

そんな心をyasuは見事にみぬいたんだなっておもって

彼の才能に、また驚かせられた

 

 

 

 

誰が為に生きるのか

最近、そんなことをよく思います

例えば仕事を辞めるにしろ、恋人を選ぶにしろ

親が言ったから~

世間体がどうだから~ということを耳にします

 

でも、それってどうなんでしょうね。

 

私は、一流家庭の育ちの子を知っていますが、

本当に一流家庭の子っていうのはそういうものに確かに縛られているのかもしれません

なにかを犠牲にしてなにかを得て。

 

けれど、ほとんどのひとは、そうではないと思います。

何故なら、人はそれほど他人を見ていないからです。

それなのに、知ってか知らずか、それを言い訳にします

 

18歳成人論なんて、そんなものはとうの昔には予測されなかったことです

派遣社員、貧困家庭の激増、街コン、奨学金で苦難、そんなことを予想していた人は

20年前にどれだけいたでしょうか

 

つまり、昔の常識は全く通用しないし、

マナーや良識さえ覚えていれば、ある程度の知識さえあれば

それでいいんですよ

 

誰のために行き、誰の為に働き、誰を守り、

その答えは必然的に出るはずなんですよね

 

誰かのせいにして、自分で考えないぶつからない、そういうことを繰り返すから

誰かのせいにして生きて、ずっと永遠にそのままだと思って生きていく

本当にそうなってしまうもしくは、それ以下。

 

だって、20年前の常識も今の常識も

これから組み替えられていくものなのですから

 

 

 

 

 

 

18歳成人論

日本は18歳を成人にする流れのようですね

 

でも、これってとても怖いことだと私は思っています。

 

多くの人間が一番勉強するのは18歳高校三年生なんです

私は早生まれなので問題ないですが

 

18歳の4月生まれの子はタバコも酒も合法化されるということになります

 

つまり、受験勉強時にお酒を飲むこともできるんですね、

お酒もたばこも体に害だらけなのは立証済みです

 

受験期に脳細胞を殺す、記憶を殺す、この意味はどこにあるのでしょ

そして大学入学後もきっと、飲み会による、事故は消えないでしょう、もう事故ではなくなると思いますけれど。

 

何よりも恐ろしいのが税金関係です。

年金が加算されることが予期できますが、これは貧困家庭にとって大きな打撃です。

そして貧困ではなくても。

 

多くの家庭は、延期か、保険で親で払っています。

しかし、貧困家庭というのはそれすら知らないケースもあります。

また多くの家庭であっても、この税金の実質増額に耐えられるのかという話です。

配偶者控除が増額されたのも結局は、働けと言うことの証明です。

 

これは同時に、年金は破滅していることを指示していると私はとらえています。

財源がないから、搾取する場所を変えている。

 

政治は票のところにしか政策を投じません

その為、このような隠れた政策をとるのだと思っています。

 

でも子供は生まれないのに、その生まれた子供たちが背負っていく、

生まれた時点で背負っていく借金って今頃、どのくらいになっているのでしょう。

 

私たちは誰の為に生きているのか

国は誰のためにあるのか、18歳成人論は、そういうことまで問うている気がします。

鍵をかけて

中国の言葉だそうです。

 

嫌なことが起きた後にはいいことが起きると

たまたま、私が今日お出かけした場所に会ったのですが。

 

本当に嫌なことってすごく続いて。

いいことはたまにしか起きないものです。面白いほどに。

 

最近、嫌なことが続いて、もう流せないレベルに達して

私、忘れちゃうんです。そういうことって。いろんな形式で。

 

箱に鍵をかけてしまってしまうような、そんなイメージ。

 

こんなこと久しぶりで、

少しは強くなったつもりなんだけどなーと思ってたんだけど

やっぱり人間、簡単には強くなりませんね

 

ただ今回少し珍しいかぎのかけ方をして

私、恐らく感情の記憶を消したんですよ

 

感情がすっぽり抜け落ちたというか

黒い自分を消し去ったんだと思います。

 

そういう自分の耐えられない記憶に対して

消すという行為はあったけれど

感情という分からないも消せるんだなぁと思うと

人間ってすごい生き物だなって思いました、我ながら。

 

ただ少し後遺症はあって ふいに

私の中にいる 小さな子が 泣いているような そんな気がする

 

そんな気もしながら、今は 休もうと思います

3月が近づくとおもうこと

 

今は就職も以前と比べたら、楽だと聞いていますが

私が大学生の時はそうではありませんでした。

 

100社受けても駄目な時は駄目、そんな時代でした。

私はその時、色んな顔をもって生きていました。

 

余りに多忙なことと、遺伝病が悪化してしまい倒れました

糸が切れました。

 

それから、しばらくふらふらと歩いていたのですが

今は、フリーランスで働いています。

私は、ここに来る前に、別のところで長期間、文章を書いていました。

 

それと、もともと色んな事に首を突っ込む性格で

知識だけは勝手についていきました。

 

ある日、ひょんと始めたことですが、今は忙しく働いています。

 

この時代、就職が楽勝だといわれますが、

それでも、決まらない人はいると思うんです。

 

フリーターwニートwと

馬鹿にして人になる、そんな現実が待っていますし

社会は誰も助けてくれません。

 

だからこそ、絶望しないでください

25歳人生限界説が存在しますが、そんなものはありません

自分が決めてるんだと思います

 

色んな人に指をさされ、フリーターやニートの人は生きています

自分が納得した方向に生きて、

努力してるならそれでいいと少しずつ働いていて思うようになりました